意欲と体力

曜日感覚がなくなってから、随分と日が経った。日本に帰ってきたから、様々な経験をさせてもらって、無事、発熱もした。

意欲と体力は、時に別々に歩き出すことがあるから厄介だ。


アウトプットとインプット。


言い方は少し嫌いだけど、これまで日本ではインプットばかりしてきた。向こうでは読めない本を読み、向こうでは会えない人に会った。話をしたし、話をしてもらった。


そうなると、自分の頭の中にこれまで見えなかったものや、存在していなかった言葉が現れる。それをアウトプットするのが「表現」と呼ばれるもので、なぜ学ぶのかと言われれば「表現」をするためだ。この前対談をさせてもらった芸術の専門家が「現代アートは、作品自体に価値があるわけではない。なぜ私はこれを表現したのか?なぜこの方法で表現したのか?というコンセプトに価値がある」と言っていた。この言葉になんと救われたことだろうか。


確かに、そう思う。


芸術が好きとか、表現したいとか、言うこと自体に価値はなくて、なぜ好きなのか、なぜこの方法で表現したいのか、というところまで考えられるようになってきて初めて、僕は「サッカーの表現者」になれるような気がしている。


人の倍以上、深く潜って考えるんだ。


日本で教育をされた僕らのほとんどは、残念ながら物事を深く考えない。物事に正解も不正解もないのだと、そんな当たり前のことを否定する人もいる。考えないことが最も不幸なことだと気付くまでには、結構な時間がかかるから。僕らは、結構な時間をかけて何かをすることから、逃げるんだ。


日本が良いか、海外が良いか、それはもうわからない。一生考え続けることに意味がある。日本のいいとこも、海外のいいとこもあるよね。で終わらせるのは簡単だけど、今はそれではダメな気がしている。もっと考えるべきだと、そう思っている。


あと少しで、僕はまた地球の裏側にいく。何が待っているのかは、全くわからない。

怖いし、楽しみだし、切ないし、誇らしいし、恥ずかしい。

いつものように複雑な感情を抱いているようで、安心している。




KazumaKawauchi

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