河内一馬 / Kazuma Kawauchi

記事一覧(84)

偽物

答えのないことについて、答えが出るはずもないことについて、話したあと。世界を俯瞰的に見ると、自分がいる世界が偽物のように思えてきて、それが自分を苦しめる時がある。でもその苦しみも、偽物のような気がするんだ。僕は僕の世界で生まれて、僕の世界で終わっていく。その事実は変わらないだけど、その世界を少しでも広げようとするのは、何故なのか。僕なんて、運が良かった人間なんだから、そのままその世界にいろよと、そう思うこともある。けれども、僕とは違う境遇に置かれている人を、肉眼に入れよとするのは、何故なのか。それでいて、何か手を差し伸べることも、できない自分を直視して、苦しむこともある。でもそれだって、偽物の苦しみなんじゃないだろうか。世界では、人を種で分けて、種と種が、またその種を守る種が、争いを続けている。神様がいるのであれば、どうして人間の、見た目を変えてしまったんだろう。全員白人だったら、全員黒人だったら、全員黄色だったら、こんなことは起きなかったはずなのに。奴隷制度がなければ、資本主義なんて成り立たないことは、みんなわかっている。でも。どうしたらいいかは、わからない。答えが、ない。そう考えている僕だって、誰かからしてみたら、社会の奴隷かもしれない。満員電車に乗らなければお金が稼げない人が、どうして奴隷じゃないと言えるだろうか。わからない。大人になったんだなと、思うことがある。それは僕の内面が変わったのではなく、数字が大きくなって、その数字が、社会の中で大人と子供を分ける指標として使われているからだ。大人には、責任がある。社会で生きているからだ。一人で生きていると思っている人は、必ず周りに人がいる。もしくは、いたはずだ。自分が子供の頃、見上げた先の景色にいた大人たちは、どうだっただろうか。子供とは未来をになっていく生き物で、その生き物に対して、大人は責任がある。そんなの、当たり前じゃないか、と思う。大人になるとは、子供にも戻ることができないということだ。何が言いたいのかは、わからない。90日以上家にいて、自分のスタンダードがわからなくなっている。鬱になるのも、増えている。でもそれほど、辛くはない。これもまた、偽物の苦しみのような気がしている。明日は、晴れるだろうか。今晴れているかすら、家の中からはわからないけれど。

どこで生きて誰と生きているのか

はじまりへの旅という名前の映画を観た。現代社会から離れ、森の中で自給自足の生活をする家族が、母の自殺を機に「社会」へ出ていく。結局「社会」とはなにで、どこで、誰で、僕たちはほんとうに「社会」で暮らしていく必要があるのか、ないのか、そういうことを考えさせられた。思えば、僕は森の中に住んだことはないけれど、初めて一人で日本から外に出たときに、同じような感覚をもった。どれが社会で、僕は誰で、誰と暮らしていくことを強いられていて、森へ帰るべきなのか、そうではないのか。そういうことを考えた。今は外国に住んでいて、それも日本から遥か遠い国に住んでいて、そんなようなことを考えなくも、ない。どこにでも暮らせるように、と思って生きてきて、でも自分にはそんな力はないと疑い、ここで生きている。僕はそんな感じだと思う。心地が良い、安心する、そういうことを蔑ろに出来ない自分に気づいたのは、多分ほんの数年前で、というか外国に住み始めてからで、これから自分が歳を重ねていったとき、もしくは死ぬまで一緒にいたいと思えるような人と居るときに、僕が「場所」になにを思うのかは、一向にわからない。機械を通して、人間の顔を見るようになってから、久しい。場所という概念を壊せるんじゃないかと人は言うけれど、僕にはまだ一向にそうは思えない。会いたいという感情を薄く伸ばしているだけで、ほんとうに会いたい人に会えない虚しさは、多分、誰だって誤魔化しながらもっている。テクノロジーの進化が、「どこに居たって構わない」と思う理由になることは、僕には一生ないと思う。私はレイシストだと、アメリカ人は言った。黒人が警察に殺されてしまったことをきっかけに起きている抗議運動について、英語の先生と話をしている時だ。私はアメリカで、白人に生まれた瞬間に、レイシストなのだと。もちろん彼女は、そうではない。でも、そういう自覚を持たざるを得ないことは、日本で、アジア人として生まれた僕にはなかったことだった。白人として生きることとは、一体どういうことなのだろう。場所が違えば、例えば森で暮らしていれば、そんなこと考えることもないのだろうか。例えば僕が、日本で女性に生まれていたら、どういうことを思っているのだろう。知ろうとすること、想像すること、考えること。せめて、そういうことをやめてはいけないと、彼女は言った。僕も、そう思う。はじまりへの旅。森の中から「社会」へ行き、場所を変えることで混乱した映画の中の家族のように、どれだけテクノロジーが発展しても、「場所を変える」ことには痛みを伴うと思う。僕もそうだった。だけれど、それはいつだってはじまりへの旅となって、そのあとの人生を、彩ってくれると僕は信じている。だから人間は、誰かと居るんだなと、そう思う。痛みを和らげてくれるのは、いつだって、人間以外にはあり得ないから。僕らは多分、もと居た場所に帰るのではなく、もと居た人のもとへと、帰るんだと思う。

2020

忘れることのない年になる。忘れることのない数字になる。2020年、5月。ちょっとだけこれまでのことを考えてみようと思う。アルゼンチンに帰ってきてからしばらくして、この国では強制的な自宅待機が始まって、僕はいま、1週間に一度スーパーに買い出しに行くこと以外、外に出ることがない。50日が経過したらしい。もちろんこんなことは予想もしておらず、今年は、アルゼンチンで暮らす3年目の年で、これが最後になる。言葉も、環境も、満足のいく形を作ることができて、いざ「仕上げ」と思っていたら、こんなことになった。全てがうまくいく。疑いもなくそう思っていた僕は、この状況が迫ってきたとき、現実から目を背けずにはいられなかった。こんなはずでは、なかったのに。計画通りにいかなかった日々を惜しむのは、いつぶりだっただろうか。それからしばらく、いまぼくは、もしもこうなっていなかったら、来年以降恐ろしいことになっていただろうなと、そう思っている。神様がいるとは思わないけど、けれど多分、予定調和に全てが進むことを望んでいた僕に対して、神様か何かが、メッセージを送ってくれたのだと、ほんとうにそう思っている。僕はこの期間、本当に変わったと思う。自分がいかにすべてのことを置きにいっていて、できることしかせずに、平凡に1年を過ごそうとしていたのか。今考えると、成長を自ら止めているような自分に、恐ろしさを感じる。こんなことがなかったら、僕は新しい自分になって、アルゼンチンから日本に帰るということは、絶対にできなかったと思う。予定通り、70点くらいの日々を過ごして、1年を終え、日本に帰り、そして、日本で豪快に転んでいたと思う。絶対に、うまく行かなかったと思う。だから、本当に、もしこうなっていなかったらと想像すると、僕は結構怖いのだ。チャリティの企画を立ち上げて、50人もの知らない人と話すなんてことは、普段の僕では考えられない。電話が嫌いな僕は、テレビ電話はもっと嫌いだったし、それが今では、まったく異なる自分がいる。料理だってするし、両親に連絡だってする。これは、新しい自分なのだ。この期間には、ご褒美もあった。それが何かは言えないけれど、また5年後にこれを見返したときに、いまを懐かしむことが出来たらいい。人には、同じ道を歩いているだけでは、わからないことがある。しかも、人は自分がどの道を歩いているのかを、知ることができない。今回のように、何か外側から圧力がかかったとき、はじめて、僕らは自分の足元と、後ろと、そして前をみて、いまどこを歩いてるのかを知る。隣の道ですら、人は、自分には歩くことができない道だと決めつけ、ただ足を前に進めたり、もしくはそこに佇んだりする。僕はそれが嫌いだと思っていたのに、文字通り、自分が知っている道を歩こうと思っていた。別に成長をしたいとか、成功したいとか、うまくやりたいとか、そういうことじゃないんだけど、僕は満足のゆく暮らしがしたいし、もっと言うと、幸せになりたくて、多分そのためには、頻繁に、道を外すことが必要なんだと思う。それが人として、動物として、生命として正しいのかは一向にわからないけど。これからどれほどの時間、こうして、パソコンの前に向かうだけの日々が続くのかはわからない、5月。それでも僕は、神様かなんかがくれたメッセージを受け止めて、ご褒美を大切にしながら、ああでもないこうでもないと、生きていきたいと思う。2020きっと大事な年になる。

耳鳴り

耳鳴りがして、ハッとした。もっと若い時は…(という言葉を使おうとして手が止まる)27歳って、「若い時は」とか「子供の時はとか」、なんか昔を表現しづらい歳頃だなと、ふと思う。中途半端で。きっと35歳くらいになったら、「もっと若い時は…」なんて言いやすくなるのかな。お前はまだ若いし、お前はもう若くない。27歳って、そんな歳だ。それはいいとして、耳鳴りがした。昔はしょっちゅうなっていたんだけど、最近は、そういえばなかったなと、そう思う。アルゼンチンに来て、初めてかもしれない。今日は朝から、洗濯機に入れた洗濯物がビジョビジョの状態で汚いバケツの中に出されていて、発狂しそうになった日だ。「文字通り、理解が出来ない」と、スペイン語が咄嗟に出てきた自分に気づいたと同時に、文字通り、理解ができなかった。この国では、こういうことがよく起こる。これは、僕が日本人だからなのかもしれないし、そうではないのかもしれない。「汚い」の基準がはるかに異なる国で暮らすのは、最初は苦労した。僕のルームメイトの整理整頓の出来なさは、椅子の上に乱雑に重ねられた衣服を見ればすぐにわかる。よくもまあ、そんなにバランスを保っているなと、感心してしまうくらいだ。大学の教材はベッドの上に重ねられて、無様な姿を見せている。僕は別に、そこまで整理整頓をするタイプではなかったけど、部屋の半分が異常な乱雑さであることを毎日目にすることで、異常に整理整頓をしないと気が済まなくなった。人間は、面白い。ストレス。僕はこれがよくわからない。ストレスって、感じていいものなのか?とか、俺ってストレス溜まっているのか?とか、そういうのは人に聞いてもわからない。体に異常をきたすときもあるけれど、それが本当にストレスによるものなのかは、一向にわからない。アルゼンチンの大統領が、変わろうとしている。今日は、選挙だった。これまでで一番、何だか仲間外れにされたような、そんな理不尽な感覚を覚えた。外国人として暮らしていて、尚且つ数年後にはこの国を去る人間が、この国の大統領選挙に興味を持つことで誰かにとってプラスになるのかと言われたら、正直わからない。「僕にはわからない」と、バカなふりをするのが楽だった。同じ家に住む友達に、大統領が変わりそうだね、と一言言った時、彼は少し空気を変えた。耳鳴りがしたのは、ちょうどその瞬間だった。外では、大統領が変わることを期待していた人々が、太鼓や、音楽や、叫び声をアイテムに、自分たちの存在を知らしめているように僕には映った。普段は異常なほど静かな日曜日の夜、今日は全く違う様子だ。これは一体、何なのだろう。政治的な会話ができるアルゼンチン人と、タブー視される日本人と、経済がよく破綻するアルゼンチンと、経済大国の日本。これを比べる行為自体が、愚かなことのように思えて仕方がない。でも、比べることしかできないのだ。どっちもいいところがあるよね、なんて悠長なことを言っている間に、僕は耳鳴りがして、生きているという事実を突きつけられる。さっきまでシリアスな顔をしていたあいつは、廊下でレゲトンを流している。「うるさい」。これが、僕がアルゼンチンに1年半住んでいた中で、もっとたくさん抱いた「感想」かもしれない。これはもう、僕の悲しい性なのだ。静かにしている時間が、何よりも尊い。それに気づいたのも、ここに暮らし始めてのことだけど。僕が今住んでいる環境では、15人ほどの大学生が暮らすペンションの中に「静寂」は一向に訪れない。僕の隣ではルームメイトが貧乏ゆすりをし、鼻くそをいじり、ギターを弾く。いつも同じ場所で音が外れるのを、自慢じゃないけど音感だけは優れている僕は敏感に感じるのだけれど、彼はきっと、気付いていない。「音が外れるのは、すごく気持ちが悪いんだ」なんて、そんなこと言えるはずがない。今度は、チャイムがなった。きっと誰かが宅配を頼んだのだろう。僕がアルゼンチンに住み始めた去年の頭には、家のチャイムが鳴ることなんて滅多になかったのに。今は、宅配サービスが発達して、ピンポン、ピンポンなっている。耳鳴りがして、ハッとした。なぜだかわからないけれど、僕は今アルゼンチンという国に暮らしているのだと、改めてその現実を突きつけられた気分だ。誰かにとっては大したことないアルゼンチンに住むという体験は、きっと想像以上に尊い時間である。またいつか耳鳴りがした時、今日の日のことを思い出すのかもしれない。明日からは、またいつもと変わらないアルゼンチンがやってくる。きっと、何事もなかったように。僕は外国人として、時に後ろめたさを感じながら、時に喜びを感じながら、あともう少しここに暮らしてみようと思う。

私は何者か

ほら、また変なことを言い始める。私は何者か、とか。実際「何者」でもないわけだけれど、どうやら人間にはそれぞれ特徴があって、それぞれ感じやすい感情があって、それぞれ半自動的に行なっている行動や思考があって、今言ったすべてを複雑に混ぜ合わせて出来上がる「こうやって生きたい」という「イメージ」があるみたいなのだ。多分、僕とあなたは、見た目だけじゃなくて、あらゆるものが異なる。問題は、自分のことを自分で知ることなんて出来んのか?である。だって自分が自分のことを考えるときは、少し色眼鏡をかけてみてしまったり、逆に極端に蔑んでしまったり、なかなか難しいのではないか。確かに、難しい。でも、例えばの話。勉強が好きではなかった幼少期を過ごした僕は、現在27歳になって、勉強ばかりするようになった。「知らないものを増やすためには、知っていることを増やさなければならない」と誰かが言ってたけど、最近になって、知っていることが圧倒的に増えてしまった僕は、圧倒的に知らないことが目立つようになって、どうやら「知識を得る」という作業に取り憑かれてしまったようなのだ。自分を守るためでもあるのかもしれない。何も知らない、じゃ済まされない段階にいるということもあるのかもしれない。それはともかく。この「勉強が嫌い」と思っていた過去の自分と、「勉強をしたい」と思っている今の自分は、何が異なるのだろうか。ここに「何者」のヒントがあるのだと思う。なぜ、変化したのか。その間に何があって、どこにやってきたのか。そういうことを考えると、自分がたった今立っている道が少しずつ鮮明に見えてきて、顔を上げると、少しだけ未来のことが見えたりする。それは幻覚かもしれないし、本当に待っている出来事なのかもしれないし、結局わからないのだけど、何かが見えている分だけ、足取りは確かになる。みんな、足取りを確かにしたくて必死だ。僕も。世の中から「暇」な時間が抹消された。暇な時間は、辛いし、ソワソワする。暇だったら、すぐ近くに置いてある四角い端末をさわれば、買い物も、勉強も、リラックスも、コミュニケーションも、何もかもができてしまう。なかなか「ちょー暇」をつくりだすことは、難しくなってしまった。「暇な時間」に、ぼーっと考えるのが大事なんじゃなかったっけ…?自分とは何者なのか?そもそもそんなことを考えている奴は、暇なのだろうか?それとも、忙しいのだろうか?僕は「暇」な時間を勉強に当てられるように、何があっても四角い端末を見れば勉強ができるような仕組みをたくさん作って「しまった」。オンラインでも、オフラインでも、暇な時間を勉強に当てられるように。なんて、矛盾しているのだろう。だけど一つだけ思うのは、いつも暇な奴は、暇の価値がわからないし、いつも忙しい奴は、忙しいことの価値がわからない。意図的に「暇」や「忙しい」をつくりだすことが、僕にとっての最適解なんじゃないかと、現時点ではそう思っている。時間の使い方を、考えないと…ああ、忙しい。

幻想を抱く人は幸せか不幸か

短期間で、3ヵ国を見た。もう行きたい国なんてあまりないと思っていたのは、新しい発見や気持ちが揺れ動くほどの何かを得ることは、もうないと思っていたからだ。とんだ勘違いだった。僕らが生まれた時には、「Made in Japan」や「TOKYO」というブランドは既に出来上がっていて、日本人としてのプライドは、アジアという狭い概念の中でしっかりと確立されていたように思う。なんだかんだ日本が一番だろ、そう思っていたのはおそらく僕だけではなくて、外を知らない人は特に、アジアの中の日本は、色々他国のことを聞きはするけれど、それでも日本が一番先進的で、綺麗で、発展した国だろうと、そう思っているに違いない。正直僕も、自分の目で見るまではそのように思っていたけれど、例えばシンガポールに来て、自分が恥ずかしくなってしまった。着いてすぐ、これ東京と一緒だなと、そう思ったけれど、時間が経ってからは、東京よりも未来があることに気が付いてしまった。笑ってしまうくらい、僕は勘違いしていたのだ。これからの日本は、人口が減って、年寄りのための国になる。別にそれ自体が悪いことではないのだけど、若者は選挙に行かず、自分が住んでいる国のことすら知らず、海の外を見ようとしない。それを作ったのもの結局、日本のおじさまたちが作った構造的な問題であり、その責任を取るのは若者だとそう思っていたけれど、もうこれからは、未来が見えている頭の良い若者は、日本にいる必要がなくなっていく。変なしがらみによって自分がやりたいことができるのに我慢したり、おっさんに文句を言いながら生きていく若者は、悪い意味で日本からいなくなっていくのかもしれない。でも僕らは、選挙に行かないから、そんなことを言う資格はないのだ。そうか、そうなのか?本当にそうなのだろうか?わからない。現実を見て、戦略を練って、動く。そんな当たり前のことが、できなくなっている。別にみんな、夢を持ちたいわけではない。ただ、幸せになりたいのだ。その可能性がある日本という国で、その可能性を持たずに死んでいく若者を、これまで放置してきたのは一体誰なのか。幸せになろうよと言うと、みんな幸せになりたいわけじゃないんだと、そう言われる。幸せを強要するなと、そう言われる。それは幸せになる可能性が極めて低い者たちに失礼だとそう思っても、彼らはそんな人々のことは知らないのだ。自分が持っている可能性の大きさを、知らないのだ。人間は、難しい。全くもって、シンプルではない。僕は、何かできるだろうか。何ができるだろうか。

ギターを背負った男は、泣く。

右を見ると、ギターを背負った男が、泣いている。泣きじゃくっている。彼の前に立っている女性の顔は見えないけれど、その後ろ姿が「哀しい」と言っている。人々とは違う世界にいる2人は、キスをして、抱き合って、またキスをして、そして泣く。お別れの時だなと、わかる。空港でしか書けない文章は、あるなと思う。空港でしか発起しない感情も、空港でしか見ることのない光景も、すべでが尊く美しい。いつものように僕は一人で空港を歩く。忘れ物もないし、VISAも持っているし、言葉も不自由がなくなって、少し自信ありげに、歩く。「ありがとう、カズ。良い旅を」。携帯の画面に出てきたそのメッセージの送り主は、空港まで送ってくれたタクシーの運ちゃんだ。「こっちに戻ってくるときまた来てやるよ!」と言ってくれたから、番号を交換した。いいのかなとか思いながら、まあここはアルゼンチンだしとか思いながら、迎えに来てくれるって言うしとか思いながら、こいつの稼ぎになるんだったら良いやつだしいいかとか、いろいろ思いながら。幸か不幸か、僕には泣きじゃくる理由もなければ、ギターもない。その分だけ少し身が軽い。いい加減、飛行機に乗るのも慣れてきたのだろうか。ちょっとめんどくさいのは、これからも変わらないのかもしれない。人と別れるときに泣きじゃくってしまうことは、なんと不幸で、なんと幸せなのだろうか。僕はこれまで、誰かとお別れをするときに泣きじゃくったことがあるかと思い返してみたけれど、んん、多分ない。学校の卒業式で泣いたことはないし、悲しいよりも、別の感情が勝ってしまう。もうちょっと面白くできないのか、卒業式、とか。どこかの地を離れたとき、僕は多分、誰かと別れるのが悲しくて涙を流すのではなく、場所と、そこで過ごした時間に対する涙だったのだろうと思う。誰かのとの別れは悲しいし寂しいけど、泣きじゃくることは、難しい。いつか僕は、誰かとの別れが悲しくて、泣きじゃくることはあるだろうか。不幸と幸福を、同時に味合うことができるだろうか。ギターを抱えた彼は、相変わらず今にも泣き出しそうな顔をしながら、一人、イミグレーションを歩いている。彼は今、不幸と幸福の、どちらを感じているのだろうか。彼の彼女と、同じだろうか。彼はこれから、どこへ向かうのだろうか。

はじめてのはじまり

27年間を生きた。意識と記憶がはっきり出はじめた時から数えても、15年以上は、僕は人間としてこの世で暮らしていることになる。まだまだ若いと言われる歳頃かもしれないけれど、僕にとっては、随分と、色々なことを経験したように思う。ここにきて、あともうすこしと言うのが正しいかはわからないけれど、初めての始まりを経験することになる。これまでとは、ちょっと違う。そわそわしたり、自分の頭の中を見つめたり、運動をしたり、怒ったり、悔しかったり、なぜだかすごく可笑しかったり、ワクワクしたり、そういう人間としての作業を「丁寧に」こなしてきたのが、僕の外国に住んだこれまでの1年半だったと思う。日本にいた時は、全く持って、丁寧なんかじゃなかった。社会の変化にも、どうにかついていきながら、僕は自分の時間だけを止めたかった。何らかの力が背中を押し、スピードが上がっているのかバタバタしているのかわからない状態から抜け出して、後ろに誰もいないことを確認し、一歩一歩、確実に進みたかった。周囲を見ながらも、自分は、自分の道を歩きたかった。そうしないと、僕の人としての時間は、何者かに背中を押されながら進んでいき、気付いた時には、自分で歩くことができなくなっている。そんなことを避けたかった。ちょっとみんな、黙っておいてくれないか。僕には、僕のスピードがある。そう思っていた。確かに僕はそう思っていた。だからここにきた。日本に帰って、「
はじめてのはじまり」が訪れたとき、僕は今猛スピードで進んでいるのか、それともゆっくり進んでいるのか、それがはじめてわかるのだと思う。どちらにしても、僕は今自分の足で進んでいる。だから、それで良いのだ。ここ1ヶ月の僕は、何も書きたくない病が、(また)発症した。言葉を出すのがもったい気がして、溜め込んでおきたい気がして、指が動かない。日記も、WEBにも、何も書かなかった。もう少しでこの病は、自分で勝手にどこかに行ってしまうような気がしている。田舎に行った。この国の田舎に行くのは、初めてだった。過去に産業で栄えていた街は、今ではしっかり廃れてしまって、街中に立つ建物からどことなく寂しさが伝わってくる。それでも人々は、笑っていた。これでいいんだ、と。帰りのバスの中、前に座ったカップルはどう見ても薬中で、隣の席に座ったおっさんはドーナツを食べる巨漢だった。窓の外を見ると、夕焼けが沈む瞬間が見える。太陽以外、何もない。こんなに綺麗な空を見るのは久しぶりだなと僕が泣きそうになっているとき、目の前の薬中カップルは、オンボロのバスに設置されている機能するはずのないコーヒーメーカーに文句を言い、隣の巨漢は2つ目のドーナツを頬張っていた。世界はこれでいいのだと、そう思った。ひとは、これでいいのだ。

ライオン

ずっと見たかった映画だった。なぜか頭に残っていた映画。『LION』今日、やっと見ることが出来た。見ている間は、今自分がどこにいるのかわからなくなるほど、パソコンで見たのにも関わらず、久しぶりに世界に入り込むことが出来たいように思う。突然、目の前から家族がいなくなる悲しみは、どれほどのものなのだろうか。道で寝ている子供達は、何を思って生きているのだろうか。何も思っていないのだろうか。僕らみたいに、幸せとはなんだとか、好きなことはなんだとか、そういうことは思わないのだろうか。僕にはわからない。これからもわからない。でも、想像して、自分の幸せすぎる人生を感じることも出来るし、少しでも、いつか世界のどこかにいる幸せの意味すらわからない子供達に、何か、出来たら良いなと、そう思う。しなければならない。それが、動物にはできない、僕ら人間が持っている力だと思う。僕らは、遠い世界にいる他人を、助けてあげることが出来る。僕は数日、自分が置かれている環境を直視して、怒りだか、悲しみだか、憎しみだか、そういう感情を抑えられずにいた。自分の幸せを知ることなく、目の前にある面倒なことだけを見て、こんな暮らしはもうできないと、そう考えてしまう。少しのことで腹がたつのは、自分に原因があるとはわかっていても、最近の自分は、そんな感じだったと思う。映画を見たから何かが変わる訳ではないけれど、良い作品と出会えたことで、少し気持ちが楽になった。人間のことを、僕はまだ全然知らない。自分のことも、他人のことも。今外国で暮らしていることを、いつか誇りに思う日がくると思う。少しの辛さや鬱々しさは、お前の中で育っていく。世界を見れば、そんなものは、幸せのうちの1つだということがわかるだろう。いつか誰かに幸せを分けてあげられるように、まずはお前が幸せを感じるんだ。すでに持っているよ。

ごちゃごちゃ

頭の中が、ごちゃごちゃしている。普段から片付けているはずの引き出しが、開けたらまたごちゃごちゃになっている、そんな感じだ。片付けているはずなのに。引き出しの大きさにあっていない物が入っているのかもしれない。どう仕舞い込もうとしても、はみ出てしまう、その一つがあるだけで、他のものが整理されていても引き出しが閉まることがない。問題なのは、その大きな物が一体何なのか、多分自分でもわかっていないのだ。こっちには、心の底から信頼している友達が、一人だけいる。いつも僕を助けてくれる本当にいい奴だ。今日は、何だかそいつの優しさが辛かった。せっかく伝えたいことがあるのに、スペイン語でうまく伝えることができない、そんな時は結構落ち込んでしまうのだ。日本人だからなのか、ことを複雑に、繊細に、難しく考えてしまう。日本語のように。頭がそのモードになっている時は、びっくりするくらいスペイン語が口から出てこなくなる。頭の使い方が、違うんだろうと思う。頭の中がごちゃごちゃしていなくて、身体と同時に、精神もアルゼンチンにいる時は、びっくりするくらいスペイン語が出てくる。そもそも僕は、スイッチが入っていない時は極力人に会いたくない人間だ。でもそれは、アルゼンチンでは、というかこの生活では、到底できない。常に部屋にはルームメイトがいて、家の中にはたくさんのアルゼンチン人がいるし、そうだ俺は外国に住んでいるんだ、できるだけ現地の人と交流をしようじゃないかと考えてしまうのは、仕方のないことで、いつも僕は自分の陰キャラと陽キャラを戦わせている。結局譲り合うのだけど。頭がごちゃごちゃしていることの1番の証明は、このブログだ。何を書きたいのか、意味がわからない。これからアルゼンチン代表のサッカーが始まる。僕はすっかりモードを陽キャラに切り替えて、みんなのところへ行くと思う。

視野の話

いや、これは本当の話だ。人間は、見たいものしか見ることができない。たとえそれが目の前にあったとしても、それを求めていなければ、本当に見えないのだ。そうだそうだ。とは思っていたけれど、ここ数日で身を以て体験している。たとえば、リンゴが欲しいとする。あなたはリンゴが欲しいと思いながら人生を生きている。毎日の暮らしの中で、時々あなたの視野に入るリンゴもあれば、自ら見つけに行ったリンゴもあるだろう。でもあなたは、リンゴを欲しがるあまり、他の果物が目の前にあることに気づかない。本当は、リンゴよりも美味しくて、リンゴと一緒に食べればよりリンゴが美味しくなる果物であったとしても、あなたはリンゴが欲しいのだから、他のものは目に入らない。目に入っても、頭には入らない。一方で、果物を欲している者はどうだろうか。目の前に現れた全ての果物を見るととが出来る。だけど、他の食べ物が目に入ることはない。つまり、目標や願いは、抽象的であればあるほど、いろんなものが目に入ってくるということを言いたいのだけど、寝起きすぎてあまり良い例えが見つからない。まあ、つまり、人間は自分の目標や、イメージをしている到達点、また欲しているものによって、自分の人生をつまらなくしてしまう可能性があるということだ。自分は、こうだ。自分が欲しいのは、これだ。と決めることは決して悪いことではない。でも、それに固執しない柔軟な姿勢と、視野を広げるストレッチは、常にやっておかないと、気づかないうちに、どんどん、どんどん、自分はリンゴだけが欲しい人間なんだと思い込み、目の前にあるリンゴよりも質の良いイチゴに気づくことができなくなってしまう。僕はあるきっかけで求めているものが増えた瞬間に、様々な出会いが降ってきて、様々なアイデアが浮かんだ。これは不思議だけど、本当のことだ。一気に人に出会う。これは、これまでは見えていなかったものが、見えた証拠なんだ。あれ?と思うには、視野が広くないといけない。改めて、それを感じている。僕は別に、目標を達成したいわけではない。幸せになりたいのだ。そして誰かを幸せにしたいのだ。今から変なことをいうけど、そのために目標を達成する必要があるんだ。目標はそのためにある。自分の歩く道を狭めるためではない。夢とか、目標とか、計画とか、そういうものによって、何か見えてないもはないだろうか?もしそうなら、もう一つ、抽象度をあげてみてはどうだろうか、俺。