私は、日本から来ました。
心配していた集合時間も間違っていなかったようで、僕が到着したのと同時に、これから共に授業を受けることになる指導者たちも、続々と集まってきていた。
ファン・ラモン・ベロン。
アルゼンチンの指導者協会名誉会長であり、この学校の校長先生だ。あのファン・セバスチャン・ベロンの実の父。自分自身も、この街にあるクラブ「Estudiantes de La Plata」の元選手で、この国では知らない人はいない。もちろん、ここでは息子とともにヒーローである。
この学校の受付をする女性が僕のことを紹介してくれた。
「私は、日本から来ました」
ここに来てから何十回言ったかわからないセリフだ。
それくらいしかまともに話すことは出来なかったけど、これから彼と同じ場所に少しでも長くいて、いろんなことを吸収したいと、そう思った。表情から、苦労や栄光が見て取れる人だった。
ホルヘ。
「日本から来たの?驚きだね。」と声をかけてくれた、記念すべきアルゼンチン人指導者の初仲間である。簡単なスペイン語を使って話をしてくれるから、すごく助かった。初めの先生の挨拶、学校の説明、すべて何を言ってるのかわからなかったけど、彼が少しだけ説明をしてくれた。
(それもわからなかった)
これからは、日本人僕一人だ。スペイン語が(まだ)わからないのも僕一人。
不安がないといえば嘘になるけど、いつもなんでも乗り越えてきた。
言葉がわからない時期にしか得ることの出来ないことも必ずあるし、言葉がわかるようになれば、自分のサッカーの考え方がどれだけ通用するのか、確かめることが出来る。言葉がわからないこと、アジア人であること、日本人であること…勝手に感じてしまう「疎外感」が、これからどう変わっていくのか。どう変えていくのか。
いよいよ、始まった。
人生最大の挑戦。サッカーを学ぶという、挑戦。
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