耳鳴り

耳鳴りがして、ハッとした。

もっと若い時は…(という言葉を使おうとして手が止まる)

27歳って、「若い時は」とか「子供の時はとか」、なんか昔を表現しづらい歳頃だなと、ふと思う。中途半端で。きっと35歳くらいになったら、「もっと若い時は…」なんて言いやすくなるのかな。お前はまだ若いし、お前はもう若くない。27歳って、そんな歳だ。


それはいいとして、耳鳴りがした。昔はしょっちゅうなっていたんだけど、最近は、そういえばなかったなと、そう思う。アルゼンチンに来て、初めてかもしれない。


今日は朝から、洗濯機に入れた洗濯物がビジョビジョの状態で汚いバケツの中に出されていて、発狂しそうになった日だ。「文字通り、理解が出来ない」と、スペイン語が咄嗟に出てきた自分に気づいたと同時に、文字通り、理解ができなかった。この国では、こういうことがよく起こる。これは、僕が日本人だからなのかもしれないし、そうではないのかもしれない。「汚い」の基準がはるかに異なる国で暮らすのは、最初は苦労した。僕のルームメイトの整理整頓の出来なさは、椅子の上に乱雑に重ねられた衣服を見ればすぐにわかる。よくもまあ、そんなにバランスを保っているなと、感心してしまうくらいだ。大学の教材はベッドの上に重ねられて、無様な姿を見せている。僕は別に、そこまで整理整頓をするタイプではなかったけど、部屋の半分が異常な乱雑さであることを毎日目にすることで、異常に整理整頓をしないと気が済まなくなった。人間は、面白い。


ストレス。僕はこれがよくわからない。ストレスって、感じていいものなのか?とか、俺ってストレス溜まっているのか?とか、そういうのは人に聞いてもわからない。体に異常をきたすときもあるけれど、それが本当にストレスによるものなのかは、一向にわからない。


アルゼンチンの大統領が、変わろうとしている。今日は、選挙だった。これまでで一番、何だか仲間外れにされたような、そんな理不尽な感覚を覚えた。外国人として暮らしていて、尚且つ数年後にはこの国を去る人間が、この国の大統領選挙に興味を持つことで誰かにとってプラスになるのかと言われたら、正直わからない。「僕にはわからない」と、バカなふりをするのが楽だった。同じ家に住む友達に、大統領が変わりそうだね、と一言言った時、彼は少し空気を変えた。


耳鳴りがしたのは、ちょうどその瞬間だった。


外では、大統領が変わることを期待していた人々が、太鼓や、音楽や、叫び声をアイテムに、自分たちの存在を知らしめているように僕には映った。普段は異常なほど静かな日曜日の夜、今日は全く違う様子だ。


これは一体、何なのだろう。政治的な会話ができるアルゼンチン人と、タブー視される日本人と、経済がよく破綻するアルゼンチンと、経済大国の日本。これを比べる行為自体が、愚かなことのように思えて仕方がない。でも、比べることしかできないのだ。どっちもいいところがあるよね、なんて悠長なことを言っている間に、僕は耳鳴りがして、生きているという事実を突きつけられる。さっきまでシリアスな顔をしていたあいつは、廊下でレゲトンを流している。


「うるさい」。これが、僕がアルゼンチンに1年半住んでいた中で、もっとたくさん抱いた「感想」かもしれない。これはもう、僕の悲しい性なのだ。静かにしている時間が、何よりも尊い。それに気づいたのも、ここに暮らし始めてのことだけど。僕が今住んでいる環境では、15人ほどの大学生が暮らすペンションの中に「静寂」は一向に訪れない。僕の隣ではルームメイトが貧乏ゆすりをし、鼻くそをいじり、ギターを弾く。いつも同じ場所で音が外れるのを、自慢じゃないけど音感だけは優れている僕は敏感に感じるのだけれど、彼はきっと、気付いていない。「音が外れるのは、すごく気持ちが悪いんだ」なんて、そんなこと言えるはずがない。


今度は、チャイムがなった。きっと誰かが宅配を頼んだのだろう。僕がアルゼンチンに住み始めた去年の頭には、家のチャイムが鳴ることなんて滅多になかったのに。今は、宅配サービスが発達して、ピンポン、ピンポンなっている。


耳鳴りがして、ハッとした。なぜだかわからないけれど、僕は今アルゼンチンという国に暮らしているのだと、改めてその現実を突きつけられた気分だ。誰かにとっては大したことないアルゼンチンに住むという体験は、きっと想像以上に尊い時間である。またいつか耳鳴りがした時、今日の日のことを思い出すのかもしれない。


明日からは、またいつもと変わらないアルゼンチンがやってくる。きっと、何事もなかったように。僕は外国人として、時に後ろめたさを感じながら、時に喜びを感じながら、あともう少しここに暮らしてみようと思う。



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