サケテキタモノ

これまで生きてきて、今はやっと25年間。少しずつ、「こんな風に生きていくのがいい」という自分の中での基準みたいなものが固まってきたなあと思っていたところだった。

どういう言葉で言えば良いのかわからないけど、僕は人生を「丁寧に」生きたいという感覚が強くて(もちろんそれは自分の中での丁寧)、例えば時間を変なことで無駄にしたくないとか、自分が気に入っている使いやすいものを使いたいとか、朝は余裕を持って起きたいとか、時間は絶対に守るとか、清潔にしていたいとか、、そういうモノサシが、25年も生きていると出来てくる。


そのモノサシを守るのは、人の基準を気にしないことが必要だったり、それこそ多少のお金が必要だったりする。もっと若い時はお金もないし、人に合わせることをしなきゃいけなかったりで、なかなか「丁寧に生きる」ということは難しい。


そんな、やっと「丁寧に」生き始めたところで地球の反対に来てしまったから、もう大変だ。


サケテキタモノ

日本では絶対に避けてきたことが、避けられない。

例えば、アルゼンチンの人は、ものすごく「並ぶ」。銀行でお金を下ろすのにも並ぶし、スーパーのレジでも並ぶし、何かの手続きとか、もう、すごい。

日本で僕は「並んでまで」何かをすることはなかった。銀行も並んでいたら違う時にいくし、スーパーだって空いている時間にいくし、並ばないためには工夫をした。満員電車もできるだけ避けてきた。でも、こっちでは避けられない。


気まずい雰囲気も避けてきた。誰も話す人がいない飲み会とか、そんなものは絶対にいかなかった。名刺交換のための懇親会とか、そういうのがものすごく苦手で、行かなかった。でも、こっちでは全てがちょっときまづい。言葉が話せないから、僕だけずっとニコニコしてないといけないし、会話にも入れない。日本にいる時の「気まずい」とは少し違うけど、、、


ニガテ

これまでの「モノサシ」を一回0にして、と言うより0にせざるを得ない状況。

あらゆるものが汚いし、時間は守らないのが普通だし、無駄な時間が多いし、飲み会もパワフルだ。

これから数年間ここで暮らすことで、僕はどうなるだろうか。なんとか日本にいた時と同じモノサシで生きようと努力するか、それともこっちのモノサシを持ち始めるのか。

新しい自分と出会えるでしょうか。


わからない。わからないけど、これだけは言える。


ダニとノミはいない方いい。

シャワーは、お湯が出た方が、ずっといい。


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